第31条に関するポーランド草案から成立まで

ChatGPTのDeep Researchの出力結果をもとに、修正を加えました。(2025.3.1 定者吉人)


子どもの権利条約第31条(休息と余暇、遊び、レクリエーション活動、文化的及び芸術的生活)に関するポーランド草案から成立までの経緯について、公式資料や学術研究をもとに説明します。

1. ポーランド草案の内容と背景: 1978年2月、ポーランド政府は子どもの権利条約の草案を国連人権委員会に提出しました (Convention on the Right of the Child)。この草案は1959年「児童の権利宣言」の原則に基づいて起草されており ()、教育を受ける権利と遊びの権利が一体として規定されていました。

たとえばポーランド草案の第VII条では、第1・2項で教育の権利(初等教育の無償義務や教育の目的等)を定め、第3項で**「児童は遊戯とレクリエーションの十分な機会を与えられなければならない。その機会は教育と同じ目的に向けられるべきであり、社会および公的機関はこの権利の享有を促進するよう努めなければならない」と規定していました (E/CN.4/L.1366/ Rev.1 | UN Human Rights Treaties)。このように草案段階では「遊びの権利」**は教育と結びつけられ、児童の発達のための手段と位置付けられていました。ポーランドがこの条約策定を主導した背景には、1979年の国際児童年に向けて児童権利の法的文書を作成する機運 や、第二次世界大戦での児童の被害経験から児童の権利保護を強化したいという思いがありました。

2. 第1読会での議論(1979~1988年): 条約草案は1979年から国連人権委員会のオープンエンド作業部会で審議され、1988年に第1読会(第一次審議)が完了しました (Convention on the Right of the Child)。

この期間に各加盟国や関係機関から様々な意見・修正提案が寄せられ、第31条(当時の作業部会草案では第17条)に相当する規定も大きく修正が検討されました。まず複数の国が、ポーランド草案第VII条第3項における教育と遊びの権利の結び付きに懸念を示しました。ノルウェーやフランスは「遊びはカリキュラム外の活動として保障されるべきであり、教育と結び付けてはならない」と指摘し、条文中で遊びの重要性が埋没しないよう条項の構成を見直すことを提案しました。実際ノルウェーは、第VII条のパラグラフ順序を入れ替えて冒頭で遊びの権利を強調し、文言も「就学前児童を含むすべての子どもに、心身の発達のため十分な遊び・社会活動・レクリエーションの機会を与える」と改める具体案を示しています。一方で、当初案の文言を支持する声もあり、例えば比較立法学会(NGO)は1959年宣言と同様に「教育と同じ目的に向けられるべき」との表現を残すよう求めました。

こうした意見を受け、ポーランドは草案の修正を行いました。まず1979年10月にポーランドは第VII条の内容を新たな第18条へと移し、文言も**「児童はその年齢にふさわしいレクリエーション及び娯楽(amusement)の十分な機会を与えられるものとし、児童の養育に責任を負う両親その他の者、教育機関及び国家機関はこの権利を実現する義務を負う」と改めました。この修正では教育との関連づけが削除され、「遊びの権利」という語は「娯楽の機会」に置き換えられています。しかし「娯楽」という表現は加盟国のコメントには見られない独自の変更であり、その意図は明確に説明されませんでした。その後ポーランドは再度文言を調整し、「娯楽(amusement)」を「余暇(leisure)」に改めた第二次修正案を提出しました。この案では「締約国はすべての児童に対しその年齢に応じた余暇及びレクリエーションの機会を確保することを約束し、親その他の養育者、教育機関及び国家機関はその実施を監督する」と規定されています。かくして「遊びの権利」**を明示しない形で修正された条文案(第18条)は、作業部会の第1読会で検討されるたたき台となりました。

第1読会の審議では、各国からさらなる修正提案も提出されました。特に1984年のカナダ提案は画期的で、**「すべての児童は休息と余暇を享受し、遊び及びレクリエーションに従事し、文化的生活及び芸術に自由に参加する権利を有する」ことを第1項で明記し、第2項では「この権利を実現するため、親・締約国・教育機関等は子どもの学校時間や労働時間に合理的制限を設けることを含め措置を講じる」**としました。この提案により、「遊びの権利」を明示的に復活させるとともに、ニュージーランドが指摘していた「十分な機会」の意味――単に遊び場への物理的アクセスなのか、遊ぶ時間の保障なのか――に対して、子どもの時間確保(過度な学業・労働の制限)という具体的措置を示唆した点で重要でした。

他方、米国は「締約国は、レクリエーション及び文化活動が児童の幸福と均衡ある発達にとって重要であることを認識する」との提案を行い、あえて「権利」という語を避ける立場を示しました。またUNESCO(国連教育科学文化機関)は、文化的生活への参加に関する1976年の勧告を踏まえ、条文に伝統的文化・芸術表現の保護奨励の要素を盛り込むよう主張し、子どもの文化活動の権利を強調しました。さらに西ドイツ(当時の連邦共和国)は、草案中のどの規定が個人の権利でどれが国家の義務規定なのか明確化すべきとする見解を示し、遊びに関する規定(第VII条3項)は個々の子どもの権利というより国家の努力目標的な規定だとの立場をとりました。

こうした議論を経て、第1読会の終盤までに第31条(当時の第17条)の条文は大枠で合意されました。作業部会はカナダ提案や米国提案を叩き台に各国の意見を調整し、最終的に**「締約国は児童が休息と余暇を享受し、児童の年齢にふさわしい遊び及びレクリエーション活動に従事し、並びに文化的及び芸術的生活に自由に参加する権利を認める」との第1項と、「締約国は児童が文化的及び芸術的生活に十全に参加する権利を尊重し促進するとともに、文化的、芸術的、レクリエーション及び余暇活動のための適当かつ平等な機会の提供を奨励する」**との第2項からなる条文草案をまとめました () ()。1988年に第1読会が完了した時点で、第31条はほぼ現在の内容で作業部会により了承されていたのです。

3. 第2読会での調整・修正(1988~1989年): 第1読会終了後、1989年に第2読会(第二次審議)が行われ、条約全体の条文の細部が最終調整されました (Convention on the Right of the Child)。第31条については既に実質的合意が形成されていたため、第2読会では主に技術的・編集上の修正が検討されました。例えば草案中の冗長な表現を整理するため、第1項・第2項に繰り返し出てくる「本条約の」を削除することが提案され、また第1項の後半「文化的生活及び芸術に自由に参加する」を簡潔に統合し直す案や、第2項の文末の語順調整(「文化的、芸術的、レクリエーション及び余暇活動」におけるコンマや接続詞の整理)が示されました。しかしこれらの変更案の一部は条文の趣旨を実質的に変えかねないとの議論もあり、最終的に大幅な文言変更は行われませんでした。第2読会の議論の結果、作業部会は第31条(当時の第17条)を若干の技術的修正のみ加えた上で採択しました。こうして1989年3月、人権委員会作業部会で草案全体が正式に承認され、同年11月20日の国連総会本会議で児童の権利条約が全会一致で採択されました (Convention on the Right of the Child) (Convention on the Right of the Child)。

4. 最終条文の確定と意義: 最終的に採択された児童の権利条約第31条は2つのパラグラフからなり、以下の内容を定めています。

  • 第1項: 「締約国は、児童が休息と余暇を享受し、児童の年齢にふさわしい遊び及びレクリエーション活動に従事し、並びに文化的及び芸術的生活に自由に参加する権利を認める。」
  • 第2項: 「締約国は、児童が文化的及び芸術的生活に十分に参加する権利を尊重し及び促進し、並びに文化的、芸術的、レクリエーション及び余暇活動のための適当かつ平等な機会の提供を奨励する。」 () ()

この条文は、ポーランド草案の原案(教育条項に付随する形で「遊びの機会」を保障していたもの (E/CN.4/L.1366/ Rev.1 | UN Human Rights Treaties))と比べて大きく発展しています。

まず、「遊び及びレクリエーションの権利」が教育から独立した明確な権利として位置づけられました。また「休息と余暇」および「文化的及び芸術的生活への参加」という要素が加わり、子どもの生活全般にわたる文化・娯楽活動の権利として包括的に規定されています。特に文化・芸術への参加について明記した点は、UNESCOの提言や各国の意見を反映したもので、子どもの発達に創造的活動や文化的アイデンティティが重要であることを踏まえた意義深い拡充です 。

さらに第2項において、締約国に対しこの権利を「尊重し促進する」義務と、文化・遊びの機会を具体的に**「提供奨励する」責務**を課したことも重要です。原案では「社会及び公的機関が権利の享有を促進するよう努める」とされていた部分が、条約では法的拘束力のある国家の義務規定へと強化されました (E/CN.4/L.1366/ Rev.1 | UN Human Rights Treaties)。

この第31条の成立は、従来「付随的」あるいは贅沢と見なされがちだった遊びや余暇の権利に対し、国際社会が初めて包括的な法的拘束力を持たせた意義を持ちます。交渉過程では一部に慎重論もありました(例えば米国や西ドイツは当初「権利」として明記することに消極的でした)が、最終的には全加盟国の合意で条約に盛り込まれました。各国はこの条文の下で、児童が十分に遊び・余暇活動を行い文化生活に参加できるよう法律・政策の整備を進める責任を負います。

実施状況は国によって様々ですが、第31条の精神を具体化するためプレイグラウンドの設置や学校教育カリキュラムの見直し等の施策が講じられてきました。また条約採択後しばらくは、この権利は他の生存・発達権ほど重視されない傾向も指摘されましたが、2013年には国連子どもの権利委員会が一般的意見第17号を採択し、第31条の内容(遊ぶ権利・余暇と文化活動の権利)の重要性と国家の義務を詳述するなど、履行促進の取り組みも進んでいます。

5. 出典・参考文献: 本回答は、国連人権委員会作業部会の報告書や加盟国・NGOのコメント(国連文書)および学術文献に基づいています。主要な出典として、国連公式記録 (Convention on the Right of the Child) 、草案の立法過程をまとめたOHCHRの『児童の権利条約立法史』、ならびに学術的分析を適宜引用しています。特にE/CN.4/1324(1978年)やE/CN.4/1989/48(1989年)といった国連文書からは、各国の発言や提案内容、第1読会・第2読会における修正経緯が詳細に記録されており、本回答でもそれらの記述を参照しました。これらの出典にあたることで、第31条がポーランド草案からどのような議論を経て現在の形に至ったのか、その立法経緯を確認することができます。